世にも奇妙な電池の話
どうも、富田っす。
最近気づいた、ちょっとぞわっとした話。
先週の日曜日、買い物がてら、ぶらりと街に出て昼メシを食べてたら、ふとスマホのバッテリー残量が30%しかないことに気がついた。
だいたい家から1時間の距離。ホントはその後で30分くらい離れたアウトレットに行って靴を買おうと思ってたんだけど、モバイルバッテリーも今日は持ってこなかったので、やめて家に帰った。
......どうどう? ぞわっとしない?
なんとも思わない人は、それがフツーになってるんだろうけど。
もしかして、これ読んでるあなたも、いつからか行動範囲がスマホのバッテリーに支配されてない!?
俺はあの時、
「このまま買い物行ったら、帰りには絶対バッテリー切れるな。やばいな。じゃ、やめとこ」って思考をしたんだよね。
冷静に考えると、おかしくない!?
スマホのバッテリーって切れたらヤバイという観念、きっとみんなあるハズ。
バッテリー切れるくらいなら自分の行動を制限しちゃう。みんな無意識にやってない?
これ、思ってるのは俺だけじゃないらしく、調べたらロンドン大学シティ校が似たような研究やってたんだよ。
Battery icons shape perceptions of time and space and define user identities | Cass Business School
https://www.cass.city.ac.uk/news-and-events/news/2019/september/mobile-technology-battery-icon-identity-perception-time-space-research
ここに出てくるマーケティング講師のトーマス氏は研究の結果、「人間はいまや目的地が10km離れているとか、電車で10駅だとかは気にしてない。代わりに『50%のバッテリー分の距離』と考えてる」として、スマホのバッテリー残量が人間の心理や行動に大きな影響を与えていると言ってる。
うん、俺の言いたかったのもそういうこと。それに急に気がついたから、ぞわっとしたんだ。
ついでにトーマス氏いわく、スマホがよく電池切れで連絡が取りにくい人は、「社会的規範から外れ、まっとうな社会の構成員ではない」とみなされる傾向がある、と。
つまり、単に「バッテリーの残量を計画的に管理できない」というだけで、計画性のある人生を送れない、つまり「だらしない」とみなされちゃうと。たかだかバッテリーの容量が、人間のアイデンティティにまで影響を及ぼしてるぞ、と言ってるんだな。
......うん、確かにそう思うかも。確かに思うわ、ソレ。
いつの間にか電池に支配されてる俺の生活。俺の行動範囲。
なんかちょっと、SFっぽくない?
さて、実は今、先週のリベンジで靴を買いに向かってる。
今日はちゃんとモバイルバッテリー持ってるから、活動範囲もバッチリ広いぜ!
お、ちょうど電池がまた30%。モバイルバッテリーで充電開始!
ほほう、お前も容量ゼロときたか...。